2013年2月1日金曜日

遅ればせながら本年もよろしく

「新年に思う」って書こうとしてたんですが・・・。なんかうまく書けません。
ここ1ヶ月ほど毎日報道されるニュースに、スポーツ指導と体罰の問題があります。これほど長期間このテーマが社会的に議論される機会ってなかったのではないかと思います。
これについては書きたいことが山ほどあるのですが、考えれば考えるほど長文になり、収拾がつかなくなっているので・・・。
なんでかと言えば、ワタクシが校庭芝生化に取り組んでいる根底には、スポーツ指導のあり方を変えたいという思いがあるからなのだと思います。
「子供がケガをしないで思いっきり遊べるから」と芝生化を提案すると「転んでけがして痛いのを覚えさせるのは大切だ、自分もそうやって子供時代を過ごしたから問題ない。土のグランドで何が悪い?」と親や教師から反論が必ず出てきます。
この発言はワタクシの中では「スポーツの指導は怒鳴られ、時にはビンタをくらって痛い思いをするのが当たり前、自分もその中で育った。体罰とか言うけどそんなの程度問題だろう」と考える親や教師の意見と根っこが同じにみえます。
・・・とこれを説明しようとすると長くなるのでやめます。
要するに「支配と服従」で子供や選手を育てようとしていることに気がつかない親や教師は、結局は愛する我が子や手塩にかけた選手を潰すだけなのです。暗示的ですが、指導に熱が入り、選手を怒鳴り罵声を浴びせるコーチは誰に向かって怒鳴っているのかといえば、その深層心理は、未熟だった子供時代の自分や、かつて怒鳴られ殴られていた自分を怒鳴りつけ傷つけているのだそうです。これに気づかない指導者や親には悲しい結末しかこないのです。
そしてもう一つ。やはりコーチングというか教育は一筋縄ではいかず難しいものであり「言えばわかるだろう」あるいは「優れた指導者は魔法の言葉を持っている」という幻想に固執してはいけないということです。親や教師や指導者は我が子や選手たちが豊かに育つことができる環境整備にもっともっと関心を持ち、有効性を理解すべきです。子供を変えたい、選手を成長させたいと願うのであれば、指導者の人間性とか指導方法という曖昧なことに頼るだけでなく、もっともっと環境アプローチにその興味や関心を方向転換していくことが重要なのです。子供のためにスポーツや教育環境を改善しようと親や教師が立ち上がれば、その活動自体に、子供を変える効力が思いのほかあると理解して欲しいですね。
こんなところがワタクシが芝生化に踏み込んでいる大きな理由なんだなと今更ながら思います。
抽象的というか短絡的で、なんかわかりにくいですかねぇ。不完全燃焼。我ながら文章噛み合ないっていうか、すべってる感じです。
滑るのはスキーだけでいんですけどね。遅ればせながら本年もよろしく・・・です。

今年もたんぽぽとこんくらべ

  西浜校庭のたんぽぽがバリバリに咲き出しました。今年は三台の乗用芝刈り機で対抗します。子どもたちの健康を考え、薬剤散布はしない方針です。ひたすら芝刈りです。 転んでも擦り傷ができない草地であれば、最低限の校庭芝生の役割を果たしていると私は考えています。 それ以上の見た目のことを...