毎年毎年これが 繰り返されているのですが、その度に近所の心ある人々が落ち葉を掃除しているわけです。
よくよく考えれば、落ち葉は生活への必要性や生産性などと言ったものとほとんど無縁で、いわばゴミで邪魔なものなわけです。でも落ち葉の掃除が大変だから街路樹なんかなくてもいいとか、落葉する樹木は切ってしまえという声を聞いたことがありません。たぶん落ち葉を片付けることは、生活の一部であるとほとんどの人が認識しているからなのでしょう。大量の落ち葉を掃除するのは大変でも、これも街の景観や地域緑化と共存するために必要だということが理解されているからなのでしょう。つまり落ち葉は、これだけ街が都市化しても人工物にあふれたなかでも、その存在が市民権を得てしまっているわけです。これはその社会の「民度」として評価しても良いのではないでしょうか?
これと同様に「芝刈り」も 当たり前のこととして市民権が得られるようになれば、校庭芝生化は簡単なような気がします。
ご町内の落ち葉掃除と芝生の芝刈り作業はどっちも気持ちがいいはずなのです。
芝刈り作業を身近に感じてもらうこと、作業の快適さを普及するキャンペーンが必要ですね。
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