2013年3月20日水曜日

8年目の春

 先日、旧知の同級生に久方ぶりに再会した。彼は小学校の校長先生となって頑張っていた。話す流れでやっぱりワタクシとしては校庭の芝生化を勧めてみた。彼は興味を持って聞いてくれて「自分の定年までになんとかやってみよう!」と嬉しいことを言ってくれました。

8年前この西浜小中学校(共有)の校庭芝生化を提案した時のことを思い出す。当時の中学校の校長先生は「面白そうですね!」と積極的に教育委員会に掛け合ってくれた。中学の教頭先生も近所に住む地元住民であり、自宅(民宿)のテニスコート用の乗用ローラーを持ち出して地ならしに率先して協力してくれた。

それとは対照的に当時の小学校校長は「なにかあると自分の責任になるから自分の任期中は変わったことはしないでくれ・・・」と事なかれ主義のスタンスで非協力的だった。当然のごとく?小学校の教頭は校長の提灯持ちよろしく、芝生化を阻もうと陰湿な妨害をしてきた(と、ワタクシは認識している)。当時、小学校の校長が「自分の責任、責任」と強調して防衛すればするほど、子供のメリットが二の次なのが地域や保護者には透けて見える結果となり、校長以下小学校職員室の評判は低下するばかりであった。小学校の校長は「たらい回し」を期待し自分の判断を避けて教育委員会へ聞いてみてくれといったものの、意に反して教育委員会がOKを出し、中学校側が芝生化を推進する事態となったので面白くなかったのだろう。
初年度の芝生化イベントは中学校側のみとなり、地元メディアの取材時も小学校の職員室はカーテンを閉ざし、来た取材班は首をかしげていた。

校庭芝生化は年々進化することとなった。

開始当時は小学校の職員室とは険悪であった。もう昔のことなので今となっては些末なことではある。それ以後に赴任した校長先生たちは全く問題なく、芝生化に賛同し、快く協力してくれている。小学校も中学校も同様に。

校庭芝生化のキーマンはやはり現場の校長先生である。当時の中学の校長先生のように子供にメリットがあることはやってみようと思える人か、小学校の校長のように自分の保身というか責任逃れと、失策しないことにしか興味がない人であるかは、芝生化の決定的な分かれ道である。中学校の校長先生には感謝と尊敬の念でいっぱいである。
かたや小学校の校長のような人には、残念ながらというか当然のことながら子供を変えようとか、地域に貢献するとかいうことは一生お題目でしかないのだろう。教員として校長職になるということは、ある意味、立身出世の本懐を遂げているように思うのだが、なぜ校長になってまで保身に身を窶してしまうのだろうと今更ながら疑問だ。

なんだかんだで7年の歳月が流れ、ここの芝生はあって当たり前の身近なモノになりつつある。

同級生の校長先生には大いに期待したいですね。



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